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2016/07/27

【障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律が施行された背景について(地域活動ワンポイント知識)】

【障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律が施行された背景について】

<障害者差別解消法の主旨に鑑みて、意識して障害者を登用すること>
 2016年4月から「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(通称:障害者差別解消法)が施行されました。この法律が整備されるに至った背景について述べたいと思いますが、まずは、結論から。
 地域には、自治会町内会といった地縁団体、社会福祉協議会、民生委員、消防団、スポーツ推進委員、青少年指導員といった様々な団体があります。そういった地域の団体の役員や委員には、特に意識して障害者を登用してください。ある団体の事務局に登用されたとします。事務局の役割の中には、障害があるためにできないことがあります。それは、本人がこれまでと同じやり方ではなく、自分でできるやり方に変えてその作業を行うことがあります。それでもできないことは、周りがサポートすればいいのです。ある団体の会長になったとしても、できないことがあれば、副会長が変わりにやればいいだけのことです。そもそもが、健常者と同じ役割、同じやり方でという考え方は、この障害者者差別解消法の主旨とは異なります。

<障害者差別解消法が整備された背景>
 この法律が整備された目的は、平成18(2006)年に国連で採択された「障害者の権利に関する条約」に我が国が署名したことから、条約の締結に必要な国内法の整備の一環として進められてきたものです。
この条約のスローガンは、
「“Nothing About Us Without Us”(私たちのことを,私たち抜きに決めないで)」
 このスローガンは大変古いもので、今から30年くらい前から障害当事者の間で使われるようになりました。障害者自身が主体的に関与して、名実ともに障害者のための条約を起草しようという意思表示でもありました。それが、国際社会の総意として「障害者の権利に関する条約」が採択されました。
 「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」という理念の下で、政府は、障害当事者と学識経験者等からなる「障害者制度改革推進会議」を設けて、この法律を検討してきました。
 横浜市でも副市長をトップに、全区局統括本部長による推進会議を組織し、庁内における障害者差別解消の取組について、副市長が先頭に立って、障害者当事者と一緒に、指針を策定してきました。

<法の整備が障害者の自立を拒むことがある>
 ちょっと話は逸れますが、
 昭和12(1937)年にヘレン・ケラーが来日したときに、中村久子さんという、当時41歳の障害者が、日本人形をヘレン・ケラーに贈りました。
 中村さんは、飛騨の高山に生まれで冬の寒さのために2歳のときに凍傷になり、脱疽(だっそ)をひき起こしてしまい、3歳のときに、手は手首から、左足は膝とかかとの中間から、右足はかかとから切断しました。
 中村さんは、おばあさまに厳しく育てられたそうで、口をつかって器用に文字を書き、編み物まで自分でできるようになりました。
 中村さんは、障害者だからといって、恩恵にすがって生きれば、甘えから抜け出せないと、一人で生きていく決心をし、二十歳の時に、ここ横浜の見世物小屋で「ダルマ女」として手足のない体で、裁縫や編み物を見せる芸を披露することで、自ら身を立てて一人暮らしを始めました。ヘレンケラーに贈った日本人形は、中村さんが口で縫って製作したものなのです。
 昭和50年に、法律によって、見世物小屋が人を見せ物にすることを禁じました。「人道的ではない」ということが理由です。中村さん自身がこの法律に直接影響したわけではありませんが、仮に中村さんの芸を例えとすれば、お客さんは見世物小屋に一体何を見に来たのかというと、和裁をしたり、きれいな書を書いたり、そして、芸事を磨いているその立派な中村さんの生きざまを、その姿を見て感動しに来ました。その凛とした姿が「見世物」となったわけです。
 ですから、「人道的でない」というけれども、中村さんのように障害者が自ら身を立てようというチャンスを奪ってしまうようなことにもなる場合があります。

<「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」>
 話を元に戻しますと、だから、「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」ということが、ひそかにスローガンとなったわけです。
もっと大切なことがあります。こういった法律というレベルだけでなく、現実的な個々の対応の方が、この「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」が大切だとういうことです。
 日常の一対一で対応しなければならない場合に、思い込みで判断するのではなく、わからなかったら、障害者当事者とぜひコミュニケーションをとって、どうしたらよいかを双方で対等の立場で決めていただきたいと思います。

<わざわざ「障害者」に特化した人権条約が必要だったわけ>
 そもそも、人権に関しては、世界人権宣言や国際人権規約といった中核的な国際人権文書があり、すでに法的拘束力がありますが、それにもかかわらず、なぜ、わざわざ「障害者」に特化した人権条約が必要だったのでしょうか。
 一言で言ってしまえば、健常者と障害者では、そこには明らかな能力差というものがあります。自由競争を前提とする社会は、この能力による結果の相違については、「健康で文化的な生活を保障する」といった「福祉的」な支援をすることで、不平等を解消するというのが社会通念となっています。
 しかし、当然のことながら障害者も人としての尊厳を持ち、人の役に立って生きたい、社会的な地位、組織の中での地位を得たいといいった、障害を抱えていても自己実現の欲求があります。自分たちは「保護」される立場だけではない、という思いが募ります。
 その辺りの部分が―福祉的支援で保護はするが、それ以上に障害者の主体的な権利主張には応えきれない。競争社会の中で世間の邪魔にならない範囲で保障されているにすぎないといったことが現在の状態でもあります。
 そして、そういったことが、一般社会と障害者の間に、見えない壁が生じて、障害者はどんどん社会参加の権利も機会も逸してしまうような、声高々に権利を主張するような対立軸を生んでしまうことにもなっていたわけです。そこで、そういった壁を作らないためにも、障害当事者に限定した、一般社会の一員として、健常者と同等の権利が保障できる社会を目指して「障害者の権利に関する条約」を作り採択されたわけです。
 そんな、長い背景があって、2016年4月から「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(通称:障害者差別解消法)が施行されました。


<参考>
「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」の施行について(横浜市職員研修資料)
昔も今もすごいぞ 日本人 小名木善行 著 ほか

(文責:事務局 小松)


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