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2020/06/25

【スポーツ推進委員活動の目的は、スポーツを普及させることだけではない(地域活動ワンポイント知識)】

【私たちスポーツ推進委員の活動の目的は、スポーツを普及させることだけではない】
 スポーツ推進委員(旧体育指導委員)とは国のスポーツ施策を地域で推進する市町村の特別非常勤公務員です。報酬は全国平均で年45000円だそうですが、横浜市は報酬はありません。 なお、他に特別職非常勤公務員の身分を有するのは、民生委員と消防団員です。

 1 生涯スポーツ構想とさわやかスポーツ
 私たちが使う「生涯スポーツ」という言葉ですが、この「横浜スポーツ百年の歩み」によりますと、最初に使用されたのは、今から34年前、昭和59(1984)年に教育委員会で実施した「地域健康体力づくり生涯スポーツ推進モデル事業」だそうです。

 この「地域健康体力づくり生涯スポーツ推進モデル事業」は、高齢化社会に対応するスポーツ施策は「高齢者のみを対象とするのではなく、すべての住民を対象に、地域ぐるみで実現すべきである」との考えから、今も続いている学校施設の開放による有効活用と併せて、当時の体育指導委員組織を中心として地域ぐるみの健康・体力づくりのモデル事業としてを3年ほど実施されました。

 日ごろのスポーツ活動になじんでいない中高齢者、家族を主な対象として、新しい種目を含めた各種スポーツ教室・大会、地域スポーツの日といった定期的なスポーツ活動の実施、体力測定・講演会といった啓蒙活動を体育指導委員が企画し、実施するというものでした。
 しかし、体育指導委員の負担が著しく増大し、これを全市的に展開するにはかなり無理があると判断されたようです。
 一方で、民生局では、高齢化社会の到来に対応するために、高齢者の生きがいづくりと健康の保持・増進を図ることを目的に、軽スポーツの普及を計画していました。
 昭和62年度予算要求のときに、教育委員会と民生局の共通部分が指摘されたことから、両事業を合体させて、昭和六二(1987)年度より、新しい種目の全市的な普及を目的とした「ヨコハマさわやかスポーツ」に転換され、「シャッフルボード」「インディアカ」「ペタンク」「バウンドテニス」「チェックボール」「ディスクゴルフ」の「ヨコハマさわやかスポーツ」六種目が誕生しました。

 全市民を対象とした活動は、スポーツセンターを事務局として区ごとに、体育指導委員、市の健康体力づくり指導者養成講座修了者、日本体育協会スポーツ指導員、県のスポーツリーダー、老人会のスポーツ委員等で構成される「ヨコハマさわやかスポーツ普及委員会」を組織し、当時スポーツセンターを管理していた財団法人横浜市スポーツ振興事業団があたりました。これが一昨年(2017年)30周年を迎えた「さわやかスポーツ」の発祥です。
 こういった事情から、さわやかスポーツ普及委員にはいまもたくさんのスポーツ推進委員が所属しているのだと思います。

 そして、昭和六三年からは、真の意味での地域ぐるみの運動を目指して、町内会連合会、青少年指導員、子ども会、PTA連絡会にもはたらきかけて普及活動は強力に推進されました。このような経緯があって、地域のスポーツ施策の推進にあたっては、今もスポーツ推進委員が指導力を発揮して中心的な役割を担い、連合町内会、青少年指導員、子ども会、PTAに働きかけて活動されていますし、学校開放事業(文化スポーツクラブ)にも深く関わっているのだということが、よく理解できます。

2 着実に進められてきた横浜のスポーツ施策
 もうひとつご紹介したいのが、当時検討された二十一世紀を目指した生涯スポーツ推進構想です。
 第一二期横浜市スポーツ振興審議会(任期昭和六二年一月一日から昭和六三年一二月三一日)で、四つを検討課題が提言されました。21世紀の現在、この構想のほとんどが実現しています。

ひとつは、「(1)国際港都横浜にふさわしい国際競技大会の企画・誘致・開催」です。横浜交際女子駅伝、2002年のサッカーワールドカップの招致、世界トライアスロンシリーズ横浜大会の招致、横浜マラソンの開催、そして、来年のラグビーワールドカップ、その後の東京オリンピックにおける競技の誘致と、国際港都横浜にふさわしい国際競技大会が企画され、誘致され、開催されています。
二つ目は「(2)競技専門施設の設備の検討」。すべての区においてスポーツセンターが建設され、横浜アリーナ、横浜国際総合競技場が建設されています。

三つめは「(3)地域に根ざした生涯スポーツ施策の展開と指導者養成事業のあり方」。わたくしたちスポーツ推進委員が中心的な役割を担い指導力を発揮して、体育協会、さわやかスポーツ普及委員会と協力しながらスポーツ施策を推進しています。地域では連合町内会、青少年指導員、子ども会、PTAを巻き込んで生涯スポーツ施策を推進しています。

四つ目は「(4)体育・スポーツ研究施設整備の検討」ですが、スポーツ医科学センターが設置されています。

3 スポーツ推進委員はボランティアか
 さて、今日はもうひとつ皆さんにお話ししたいことがあります。皆さんスポーツ推進委員は自らの時間と労力を使い、自発的に利他の精神で地域のスポーツ振興に大変な貢献をされていますので、まさに「ボランティア」としての特徴を持っています。
 ですが、ご存じのとおり、私たちスポーツ推進委員は、スポーツ基本法で市町村の特別非常勤公務員という身分が保障されています。やっていることはまさに「ボランティア的」であっても、その実態は職務であり活動中は「勤務」です。
 ちなみに、私の知る限りでは自治会町内会でこの特別職の非常勤公務員の身分を有するのは、民生委員と消防団員、そしてわたくしたちスポーツ推進委員だけです。

 遡ること  昭和25(1950)年 全国に先がけて「横浜市健民体育指導員」制度が発足しました。昭和32(1957)年に文部事務次官通達「地方スポーツ振興について」で体育指導委員が制度化され、昭和36(1961)年にスポーツ振興法が制定されて、体育指導委員の法的身分は非常勤の特別職公務員として確立されました。
 そして、平成23(2011)年のスポーツ基本法により、体育指導委員はスポーツ推進委員と名称変更され、国レベルの「スポーツ推進会議」、県市町村に設置される「スポーツ推進審議会」と並んでスポーツ推進委員は、日本のスポーツの推進体制を構成する三本柱の一翼を担う重要な任務を課せられています。
 国家のこういった任務を遂行するためには、「ボランティア」といった意識ではなく、国家のスポーツ施策の一翼を担う一公務員であるとう自覚のもと、誇りを持って職務を遂行していただきたいと、そう願います。

4 私たちスポーツ推進委員の活動の目的は、スポーツを普及させることだけではない
<地域コミュニティの活性化>
 私たちの活動は、表向きはスポーツの普及活動です。では、一体私たちスポーツ推進委員は何のためにスポーツの普及活動をしているのでしょうか。
 結論から言えば、地域コミュニティの活性化であり、地域の安心と安全を確保するためです。

 世界にはおおよそ200近くの国がありますが、日本は現存する世界最古の国家。では、日本の建国はいつなのかといいますと、わからない。1789年のフランス革命のようにたくさんの血が流されて自由を勝ち取ったということもなければ、アメリカのようにインディアンと戦って大陸を制圧したというものでもありません。
 日本はこういった革命だとか独立を争いで勝ち取ったという歴史がまったく見当たらないので、仕方なく日本書紀や古事記に記されている「神武天皇の即位した日を建国した日にしておこう」ということにしちゃいました。これは、実はまことに素晴らしい幸せなこと。

 弥生時代に西側で農耕がはじまり、人々は協力して田畑を開墾し、多くの家族が集まって集落が形成され皆で協力しあって生活するようになりました。そういった小さな集落の思いが自然発生的に集約されて、いつのまにか国家が形成されたというのが日本です。

 こういった成り立ちから、日本の地域のあり様そのものが日本国家のあり様でもあるわけで、「日本の底力は、地域コミュニティの力」だといわ
れる所以でもあります。だからこそ、地域を寂れさせてはいけないし、私たちスポーツ推進委員活動は、スポーツの力を借りて地域の人々の健康と元気を維持し、地域の活性化に貢献する活動なのです。

第二位:サンマリノ共和国(イタリアの中にある小さな国)で1300年
第三位:デンマーク1100年
第四位:イギリス952年です。
皇紀2678年 平成30年 西暦2018年



<地域の安心と安全を確保する顔の見える地域の創造>
 日本は、地震を筆頭として、津波、土砂崩れ、噴火、大雨・大雪と、国土が狭いにも関わらず、ありとあらゆる天然災害大国です。お隣の大陸では、大きな災害に襲われたら、他の場所に街を作って街ごと移住するというようなことがありますが、国土の狭い日本では、今住んでいる場所を復興し、再び住みよい豊かな街にしていかなくてはなりません。自然災害大国である日本は、非常事態発生時に「助け合う」ことが生き延びるために不可欠です。

 昨年の委嘱式の時に少し申し上げましたが、大きな災害の時、命を繋ぎ救助や公助が受けられるまでの最初の72時間の助け合いは、まさに隣近所であり、自治会町内会であり、地域の人々が寄り添って助け合う「共助」が命を繋ぐために極めて重要だったと報告されています。
 平時でも、地域にコミュニケーションがあり、顔が見える地域であれば、それだけで防犯、安全安心な地域となります。
 私たちスポーツ推進委員が共有する、スポーツマンシップ、協力し助け合う精神に基づく地域活動は、こういった災害時にも皆で助け合うことができ、顔の見える絆のある地域の創造に繋がる意義ある活動なんです。

【おまけ】パラリンピックの発祥
 さて、2020年東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが、最後にちょっとだけよもや話。
 パラリンピックは、昭和23年のロンドンオリンピックの開会式当日に「車いす選手のための競技大会」を開催したことが始まりですが、次の第二回パラリンピックは、昭和39(1964)年の東京オリンピックと同時開催で実施されました。

 これは、世界では障害者を社会の邪魔者としかしていなかった頃に、日本では、障害を持つ人にむしろ積極的に技能を与えて、自活できる道を得ることができるようにしてきたということが大きく影響しています。
 たとえば、目の見えない人であれば、按摩師(あんまし)、鍼灸医(しんきゅうい)、琵琶法師(びわほうし)、三味線師、琴師など、耳が聞こえなかったり手足が不自由な人であっても、人形師、細工師、彫金師などの職人として、幼い頃から修行を重ねて、自立できるようにし、社会全体としても、積極的にこれらの職の人たちを活用していく文化が熟成されていました。
 幕末で有名な勝海舟の祖父は越後の盲人でしたが、厳しい修行を重ねて江戸に出て按摩業をはじめ、コツコツと貯めたお金で金貸しを始めて財を成し、そのお金で御家人の株を買って武士となりました。
 そして、勝海舟の父は、41石取りの御家人である勝甚三郎のもとに養子入りして勝の姓を名のり、その子が勝海舟です。
 そういった文化は、明治以降も継続され、日清日露戦争で腕や足を失ってしまった傷痍軍人が一日も早く社会復帰できるようにと、障害を乗り越えて技量を身に付けたり、スポーツができるように厳しく指導することが行われていました。
 こういったことから、第二回パラリンピックは、昭和39(1964)年の東京オリンピックと同時開催で実施されることになりました。したがって、第二回ではありますが、実質的なパラリンピックを開催したのは、まさに前回の東京オリンピックだったのです。

 ところが、当時、世界の選手と厳しい指導の下で訓練され技量を身に付けた日本の選手とではあまりにも差があったことから、車いす競技を対象にした外国人選手だけの第一部大会、すべての障害者を対象にした日本人選手だけの第二部の大会に分けて実施されることになりました。

 次はオリンピックの金メダル獲得数の予測について、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、金メダルの獲得数は、その国のGDP総額でほぼ決まります。つまり、世界クラスの選手を生み出す一国の能力を測る最善の尺度がGDP総額です。さらに、開催国であればプラス8個、旧共産圏の国であった場合はプラス3個を加えて、金メダル獲得数を予測するそうです。計算方法は、GDP総額÷3300億ドル。なので、2年前のGDPですが、これを参考に予測しますと、次のとおり。

【第1位】 アメリカ(United States)2016年GDP:18兆5691億ドル →57個
【第2位】 中国(China)2016年GDP:11兆2182億ドル→34個
【第3位】 日本(JAPAN)2016年GDP:4兆9386億ドル →開催国のプラス8個を加えて23個
さぁ、楽しみです。(文責:新羽地区スポーツ推進委員連絡協議会書記)
参考:港北区スポーツ推進委員全員研修会資料

(文責:事務局 小松)
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